- Book Box - 本は宝箱。

SF・幻想文学多めの読書感想サイトです。基本好きな本しか感想書かないので、書いてある本はすべてオススメです。うまくいかない時ほど読書量がふえるという闇の傾向があります。それでも基本読書はたのしい。つれづれと書いていきます。

書評『眩暈』エリアス=カネッティ著 この本はあなたにとって一生忘れられない頭おかしい小説となるでしょう。

徹底して、頭のおかしな人物しか出てこない。この点カネッティはまるで容赦がない。このように病的に狂った物語を、たかだか二十六歳のときに書き上げたのはとても怖いことだ。何をどう感じ、どう考えたりしたら、このような小説を書くはめになるのだろうか?重ねがさね、恐ろしいことである。

 

 

ペーター=キーンという著名な中国学者で、書物の収集家が本書の主人公。書物と学問以外のすべての価値観に、まるで意味を見出さず、嫌悪しているような人物。親の遺産があることから好き勝手に暮らしている。40歳にならんとしている。

 

 

そんなキーンが嫁をもらう。家政婦として雇っていたテレ-ゼという五十六歳の女だ。結婚になんの興味もなかったキーンだが、ある日テレ-ゼが、キーンが貸し与えた本を過剰なほどの慎重さでとり扱っていたことを目撃し、<この女は、わたしよりも本を丁重に扱う>と感激して婚姻の申し込みをした。これによりキーンの命運は尽きた。

 

 

テレ-ゼは、私たち読者に嫌悪感と、ひきつり笑いと、恐怖感を与える。被害妄想に取りつかれ、まったくの赤の他人を殺そうとする者の独白を読んでいるような気分になる。現実と妄想の区別がまるでついておらず、その妄想を現実の世界で赤の他人にノーモーションかつダイレクトにぶつけてくる。

 

 

キーンにしても、現実と妄想の区別がつかない事に関してはテレ-ゼに引けをとっていない。テレ-ゼの支離滅裂な発言に対して、キーンもまた自分の価値観からその発言をまったく違った意味に解釈し、これまた支離滅裂な返しをする。

 

 

物語の中盤、質屋にキーンの蔵書を売り飛ばしにきたテレ-ゼとキーンが対決する場面がある。このシーンは、まさに狂人たちが一同に集結してしまうクライマックスのような場面で、思わず何度も「怖い怖い」と声に出してしまった。キーンは金銭にまったく執着がないために、まわりにドウシヨウモナイクズナキョウジンばかりが集まってくる。目も当てられない。カオスの目のような存在となっている。

 

 

要するにこの物語は、誰一人自分の世界から一歩も出ない。出ないけれど同じ世界にいる以上利益の争奪は生まれる。世界と世界のぶつかり合いにより、自己の精神にぱっくり裂け目が生まれ、突如自分が抜き差しならない断崖絶壁の上に片足で突っ立っていることに気づく。その高度感から『眩暈』が生まれるのだ。

 

 

後半になるにつれて、喜劇的要素は影をひそめ、グロテスクかつ、野蛮な印象になっていく。狂人たちの世界は非常に原始的で、理性による世界の決まりごとはその力を著しく失っている。キーンの弟であるゲオルクの登場は、狂人ばかりのこの世のなかに対してカネッティが興味を失っていない証なのだろうか?まるでバルスを唱えた後のラピュタのように、キーンの静謐の世界は崩壊していくのだけれど・・・。