- Book Box - 本は宝箱。

SF・幻想文学多めの読書感想サイトです。基本好きな本しか感想書かないので、書いてある本はすべてオススメです。うまくいかない時ほど読書量がふえるという闇の傾向があります。それでも基本読書はたのしい。つれづれと書いていきます。

感想『一九八四年』ジョージ・オーウェル著〜蟻のウインストン・海のオブライエン

 

彼のやろうとしてしていること、それは日記を始めることだった。違法行為ではなかったが、しかしもしその行為が発覚すれば、死刑か最低二十五年の強制労働収容所送りになることはまず間違いない。~中略~ペン先をインクにつけた彼は一瞬たじろいだ。戦慄が体内を走ったのだ。紙に文字を残すということは運命を決めるような行為だった。ちいさくぎこちない文字で彼は書いた-一九八四年四月四日-椅子の背に身体をもたせる。どうしようもない無力感に襲われていた。まず何より、今年がはたして一九八四年なのかどうか、まったく定かではない。(本書より抜粋)

 

 

ビッグプラザーが支配するこの世界では、人々は厳しく管理されている。ウインストン・スミスの部屋にも<テレスクリーン>という高機能の監視機器が設置され、その発言、表情、心拍数など恐ろしいほど微細な点まで朝から晩まで監視されている。

 

この世界は貧しい。チョコレートは配給制(週に20g)だし、砂糖やコーヒーは貴重品で皆、まずい代用品で我慢しているが、それでさえ手に入らない。ウインストンは6週間も同じヒゲ剃りの刃を使っている。

 

ウインストンは疑問を持っている。<この世界は以前からこんなに貧しかっただろうか?><俺のようにこの世界がおかしいと思ってる奴はいないのか?>。だがこの世界では党に対して、世界に対して疑問を持つことは禁じられている。党の方針に批判的な顔つきをしただけで<表情罪>という罪名で投獄されることもあるのだ。

 

ウインストンは党員だ。彼の仕事は歴史の改ざんで、その内容はほとんど不条理の領域だ。たとえば党が何年もAという他国と戦争をしている。だがある日突然、「わが党が戦っているのはB国である」と発表する。それだけでなく、「A国と戦っていたという事実はない。A国はここ10年の間、同盟国として互いに助け合ってきた」とも言う。

 

その場合、人々は「それ、おかしいだろ!!」とは口が裂けても言えない。言えないどころか、表情にすら、心臓の鼓動にすらその違和感を表してはならない。高機能のテレスクリーンは町中いたるところに配置されているのだ。無条件に信じ込まなければならない。

 

変更前の記載をすべてデータから抹消、あるいは書き換えることがウインストンの仕事だ。改ざんの証拠となるものはすぐに<記憶穴>に放り込み焼却処分する。政治犯はすぐに<非在人間>として始末され、その存在した事実について語ることも出来ない。党のいうことが現在であり未来であり、過去である。そこに真実があるかどうかは、この世界で生きぬくためには大した問題ではない。

 

日記を書き始めたウインストンは、日々の暮らしを警戒の中に生きていた。<思考警察>におびえ、おそらくその一味であろうと思っていた黒髪の女性から、テレスクリーンの死角をついてすれ違いざまに小さな紙切れを渡される。そこには、大きくて稚拙な文字でこう書いてある。-あなたが好きです-。

 

ここから先、それまで抑圧下のもとでほそぼそと生きてきたウインストンは、その反動だろうか。嘘のように大胆になっていくのだがそこらへんのことはここでは書かない。海の上にたまたま落ちた一枚の木の葉。その上にたまたま載っていた一匹のアリ。それがウインストンだ。凪いでいる時はのんきに見えたとしても、その運命は決まっている。

 

奇しくも本書ではそのアリの呑まれる様を読者はアリ自身として体験することになる。それは痛くて、苦しくて、悲しくて、怖くて、死にたくなるほどの恐怖と絶望だ。読み終えたとき、後味の悪さにげんなりしてしまったが、どうやら本書は私の心に抜けることのない釘を打ち込んだようだ。抜きたくても抜けないこの釘こそが本書が名作たる由縁なのだろう。