- Book Box - 本は宝箱。

SF・幻想文学多めの読書感想サイトです。基本好きな本しか感想書かないので、書いてある本はすべてオススメです。うまくいかない時ほど読書量がふえるという闇の傾向があります。それでも基本読書はたのしい。つれづれと書いていきます。

妄想 in the world 『ゴッドハルト鉄道』多和田葉子

失礼。余談から入らせていただきます。 ひそやかな趣味とは良いもので、誰にも迷惑かけずに楽しめるものの最たるものは妄想である。 私も数年来、たしなむ程度に楽しんできた。あれは社会人になってすぐだったろうか。塩野七生の『ローマ人の物語』にはまっていた私は、その当時の現実の職場に、そっくりそのまま草創期の古代都市ローマを妄想としておっかぶせて楽しんでいた。 ・・・もしあそこからカルタゴが攻め込んで来たら、俺は~(現実)Sさん・警備員・50代・男性(妄想)アウレリウス・重装歩兵・30代・男性~と一緒にあそこに敵を誘い出して、周囲の兵士数人と取り囲んで2階への侵入を防がなければならない。命に替えても!などと日々、心中つぶやいていた。 本来無機質であるべき職場の同僚たちは、私の妄想の中で劇的にドラスティックな役割を与えられ、活き活きとその生をまっとうしていた(ローマの税は血で払うのだ)。現実側の攻めが激しくなると、妄想はあっさりと瓦解するだが、あれはあれでかなり楽しかったのを覚えている。 時がたち、次にやった覚えがあるのが自己の概念を周囲10メートルくらいまでに広げる妄想である。たとえば、自分の斜め前に不機嫌な顔をしたおじさんが現実に座っていたら、彼を自分自身の怒りの感情が具現化した人物(つまり自分自身)として、妄想するのである。 そうすると、不思議と相手に対して腹がたたなくなる。だって自分なのだから、とまあこんな具合に妄想する。これもまた、世界がすこし違って見えて楽しい。 実を言うと、こういう試みは今までにかなりの数行っておりあまり書くと人格が疑われるのでここらでやめておく。とはいえ、まくらとして妄想の噺をながながと書いたのは訳があって、実は本書でもぜひ試しておきたい新種の妄想?が紹介されているのだ。以下本書収録『無精卵』より。
女の視覚に初めて動くものが捕えられたのは、樹木を照らし出す光が急に鋭く削られ始めたのと同じ日だった。その日、女は<樹木>という言葉を使うのをやめてしまった。~中略~翌日から女は樹木を<電信塔>と呼ぶことにした。~中略~梨の電信塔と林檎の電信塔が、守護神像のように左右に立つ庭園と呼ばれる正方形の土地、女はその日、それを<庭園>と呼ぶのをやめてしまった。女はそれを心の中で<四角い土地>と呼び始めた。
聖書によれば、名づけは本来創造主の仕事ではあるが、人間にゆるされたもっとも力強い創造行為の一つであるとも思うのだ。生まれながらにして生きなおす。そんなことを可能にする行為があるとすれば、「名を変える」というのはもっとも現実的でありながら、もっとも奇跡的な行為のひとつかもしれない。 本書には4編の短編が収められており、いずれも異質な世界観で頭がくらくらする。現実世界を舞台としながらも、妄想的、もっといえば多少病的な世界が激しく入り乱れ、読後はどこか名も知らぬ、言葉も通じぬ、ましてや価値観の共有、またそれに伴う共感による感動すらも拒絶された世界へほっぽりだされたような気分になる。『無精卵』がもっとも鮮烈で病的だが、『ゴットハルト鉄道』に感じる既視感も不思議不思議でとても良い。 若い頃からドイツに住み、日本語とドイツ語の両方で詩と小説を書く著者・多和田葉子。こちらに理解できるだけの知力はないが、そんなものなくても好きな作家だ。 おそらく彼女の小説は私らの原記憶にささやきかけるたぐいのものだ。昔見た、夢の中のあの景色。道も建物も、木でさえも灰色の町をさまよい歩いて、泣きそうになりながら自宅にたどり着いたら、そこには全く知らない人たちが私の親、そして私自身として住んでいた。昔見た、そんな夢を想い出す。そんな本でした。