- Book Box - 本は宝箱。

SF・幻想文学多めの読書感想サイトです。基本好きな本しか感想書かないので、書いてある本はすべてオススメです。うまくいかない時ほど読書量がふえるという闇の傾向があります。それでも基本読書はたのしい。つれづれと書いていきます。

感想『北回帰線』ヘンリー・ミラー著〜<百色の語彙>原始の太陽は安宿に泊まる。〜アナイス・ニンによる序文は序文史に残る名文と言える。そしてその序文が示す通りの爆発的名作。

もしかしてこれは・・(ページをめくる手を止める)

まさかね。う~ん・・(思い出したり考えを巡らす)

いや、すごいけど・・・(3ページほどさかのぼる)

いやいやいやいや・・・(深呼吸)

やっぱりそうか。・・・(気づき)

ああ、すげえ。・・・(おしよせる感動味わってます)

すごいのにあたっちゃったな。ああ、すごい。

すごいなあ、これ。

 

上記が本書を初めて読んだときの私です。

めぐりあったが運の尽き。あなたはこの魅力あふれる悪友から、離れることはもう叶わないのです。

 

根元的な現実へのわれわれの嗜欲(しよく)を取り戻す。-もしそういうことが可能だとすれば-そういう力のある小説がここにある。~中略~

そして、この書で我々に与えられるものこそは血であり、肉である。飲み、食い、笑い、欲情し、情熱し、好奇する、それらは、我々の最高の、もっとも隠微なる創造の根をつちかう単純な事実である。

 

上記は、著者ヘンリー・ミラーの恋人でもあったアナイス・ニンの序文である。彼女は6カ国語をあやつり前衛的作家としてすでに著名であったが、ミラーのいくつかの殴り書きのような短文を見て、彼の作家的素質を見抜いた。本書には巻末に、大久保康雄氏による素晴らしい解説文がある。この序文と解説は本書を理解するうえで大海原の海上コンパスのごとき役割を果たす。

 

主人公はミラー自身で、小説のような、自伝のような、エッセイのような、哲学書のような、どうも規制の枠にはまらない何とも不思議な物語であって、時間も場所も、法則もなしに突然切り替わる。順番、わかりやすさなどはお構いなしで、ついてこれる奴だけついてこいよ。と言われているかのよう。ストーリーとしては、「最後の書」を執筆しようとしているミラーが女性に対してはそのヒモとしての才能を駆使して食事や宿にありついて、男性とは馬鹿騒ぎしたりナンパしたり、やっぱり金をせびったりする内容となっている。

 

ロクデナシのミラーだが、他人に対する独白は非常に辛辣で過激だ。もちろんその他人に飯や金をせびるので表面ではおそらくニコニコしている。心の中でほんのちょっと、こき下ろすのだ。ミラーは女性全般を非常に好んでいるが、その反面では憎悪もしている。描写が過激である。

 

そんなミラーの思想、借金、食事、性交、罵倒、悪巧み、友情、たあいもない会話、ちょっとしたドライブ、ナンパ、先の見えない居候、売春宿、美しい自然描写、自動書記のようなシュルレアリスム的文章、決意、覚悟、愚痴などを順不同、時系列無視の状態で読み進めていくと、ある不思議な感覚が起こってくる。

 

やばいやばいやばい。これはとんでもないぞ、これは実際小説ではないかもしれない。そう、これはヘンリーミラー自身だ。俺が読んでるのは本ではない。ヘンリーミラーという人間を読んでるんだ、と気づく。私たちの実際の生活も、断片から断片への飛躍に過ぎない。その飛躍には大抵こちら側に選択権はなく、限られた可能性の範囲でのみ展開していく。その中には意識としての生活(考え事や回想、思想、気づき、気分)も、もちろん含まれており、その日常の展開性のままに、この『北回帰線』は書かれている。だからこそ、ナマの生活をそのままに体験しているような錯覚に陥る。その構成が数年分にわたって材料として配置されている本書を読むと、おそらく死ぬ前の走馬灯を見ている気分で『北回帰線』を読んでいることに気づくのだ。

 

ロクでもない生活者のミラーではあるが、読後は不快感よりも爽やかさの方が強く残る。それはおそらくミラーの尋常でない知性に裏うちされているからだ。異常なまでに語彙が豊かで、一見、ただの悪口のように見えても、そこには多くの美しい言葉が使われている。読者はそこに知性と愛を感じずにはいられない。ミラーはきっと、とてつもなく深い愛をもつ人物だ。だからこそ、アナイス・ニンを初めとして、ロレンス・ダレルや多くの友人が彼を見捨てずに支えたのだ。