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感想『風の歌を聴け』村上春樹著~人はそれぞれ自分だけの喪失を抱えている。何かを得るために、それを失ったのだとしても、失ったものはもう二度と戻ってくることはない。デビュー作にして傑作。21歳にして悟りきっている(僕)の、帰省先での一夏の物語。

あらすじ(本書より抜粋)

 

1970年の夏、海辺の街に帰省した(僕)は友人の(鼠)とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。

 

二人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、(僕)の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。

 

青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。

 

感想

今の人の言葉でいったら、『エモい』というのかも知れない。全体をとおして乾いているような、もの悲しいような世界感のなかで、(それはクールをよそおっているようにも見えるし、ただの変わり者を演じているだけのようにも見える。まるで地面から数センチ、浮いて歩いているように飄々としている。

 

(僕)はよくビールを飲む。行きつけの、ジェイズ・バーと言う店で、(鼠)と名乗る友人と極度に省略された気のきいた会話をする。だが(鼠)はカッコつけているだけではない。時節とても辛そうに酒を飲む。思い悩んで、イライラしている。(僕)だけが超然としている。

 

ある日(僕)は知らない部屋で目が覚める。横には裸の女の子が寝ている。誰だか判らない。普通だったらビックリギョウテンのはずだが、その時の(僕)の様子が下記である。

 

喉の乾きのためだろう、僕が目覚めたのは朝の6時だった。他人の家で目覚めると、いつも別の体に別の魂をむりやり詰め込まれてしまったような感じがする。やっとの思いで狭いベッドから立ちあがり、ドアの横にある簡単な流し台で馬のように水を何杯か続けざまに飲んでからベッドに戻った。

 

開け放した窓からはほんのわずかに海が見える。小さな波が上がったばかりの太陽をキラキラと反射させ、眼をこらすと何隻かのうす汚れた貨物船がうんざりしたように浮かんでいるのが見えた。暑い一日になりそうだった。周りの家並みはまだ静かに眠り、聴こえるものといえば時折の電車のレールのきしみと、微かなラジオ体操のメロディーといったところだ。僕は裸のままベッドの背にもたれ、煙草に火を点けてから隣に寝ている女を眺めた。

 

 

・・・・・・・・すごい。落ちつきはらっている。仮に(僕)が女性にもてまくってこんなシチュエーションですらお茶の子サイサイ、慣れたもんですよ。的な人だっとしても、水をのんでベッドに戻ったあと、しっかりと窓からの風景を分析し、詩的に表現している。さらに視覚情報だけでなく、ラジオ体操のメロディーといった音声情報までしっかりと認識してから、ようやっと裸の女性に目を向けるのだ。うーむ。なんと言う冷静。なんという非リアル感。いくら小説上の架空の人物とはいえ、これは只者ではない。

 

わたしは一時、熱狂的に著者の作品を読んでいたので、このような表現も想定内の範疇ですが、驚かれる方もいるかもしれません。でもこれが村上春樹なのです。村上春樹の作品を読むと言うことは、このような描写を幾度となく読むということに他なりません。概して(僕)のような主人公は心理描写はほとんどされず、すべてを気の効いた一言で返すか、少しおどけて見せるか、黙ったりするだけなのです。

 

気にならない方もいると思いますが、わたしは気になるほうで長い期間、著者の作品を読まなかったのもこの違和感に耐えられなかったからです。

 

しかし、上記のような違和感は、後期の村上作品からすればかなり目立ちません。現実ばなれに感じるような描写も、あくまで現実から解離してはいない程度にはおさえられています。

 

そうすると何が起きるか。村上春樹作品のもつ本来の良さのほうが、上記で述べてきたような違和感を上回ります。要するに、村上春樹作品のもつ独特の読み味は、諸刃のつるぎのようなもので、バランスが少しでも崩れると一気に評価が分かれてしまうような、とても繊細なものだと思うのです。

 

もし私がアメリカ人で、外国人としての村上春樹の小説を読むのならば、この違和感はプラスに働くと思います。それは微妙な文化観が体感としてないからです。しかし、同国人として彼の小説を読むと、同じ文化で育っているはずなので、その世界観のあまりの違いに納得ができなくなってしまうタイミングが出てきてしまうのです。

 

話をもとに戻すと、本書『風の歌を聴け』では、上記のような違和観は比較的すくなく、人が永遠につきあいながら生きていかざるを得ない、(喪失感)をテーマに物語が書かれています。飄々としているようで、(僕)自身も言動の端々に喪失のうずきが感じられます。諦めからか、生まれつきのものからかは判りませんが、彼はその独特の思考法でそれらをハードボイルド的名言にかえ我々読者を楽しませてくれます。

 

彼の人となりと名言は、ちょっとした「そう」とか「わかるよ」とか言った片言の全体像で出来上がっていて、どれか一文を引用しようとすると途端に陳腐なものに感じてしまうから不思議です。作品全体で見たときにはじめて(僕)の虚無感、楽天的性格、退廃、詩的感覚、優しさなどが煙のようにたちのぼる仕組みになっていて、これは本当にすごいことだなと思います。『風の歌を聴け』。本当に、作品名とおりの、素晴らしい作品です。これから村上春樹を読んでみたいと思っている方にまずオススメしたい一冊です。