- Book Box - 本は宝箱。

SF・幻想文学多めの読書感想サイトです。基本好きな本しか感想書かないので、書いてある本はすべてオススメです。うまくいかない時ほど読書量がふえるという闇の傾向があります。それでも基本読書はたのしい。つれづれと書いていきます。

感想『騎士団長殺し』村上春樹著〜注意。村上春樹ファンの方は読まないでください。個人的な村上春樹氏に関するくだらない思い出話です。

 

※この文章は書評というより私個人の思い出話です。あらすじなど詳しく知りたい方は先行書評に素晴らしいものが多いのでそちらをお読みください。そして本文はあくまで個人的に感じた内容が書かれています。失礼なもの言いや、見当違いのことが書かれていても愚か者の書いたことだと笑ってお許しいただけたら幸いです。

 

~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~

 

はじめて村上春樹を読んだのは、おそらく10代の半ばだったと思う。羊をめぐる冒険という、一風変わったタイトルの小説だった。衝撃を受けた。面白過ぎる。この著者は、何故このような独特な文章をかけるのだろうと不思議に思った。それまでに知っていたどの作家にも似ていない。

 

その当時私はワープロのブラインドタッチを練習していた。ちょうどいい。『羊をめぐる冒険』の文章をテキストとして使おう。そしてあわよくば、村上春樹の持つ文章の魅力の謎を解こうと思い立った。もちろん何も判らなかった。ただ、村上春樹の文章をワープロの画面に打ち込んでいると、不思議なことに、何故か自分がカッコよくなったような気がした。頭が良くなったような気がした。多感な時期に村上春樹を知ってしまったことで、私は少し空想好きな、地に足のつかない人間へと順調に歩を進めはじめたと思う。

 

ノルウェイの森』『ダンスダンスダンス』『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』など、その当時出ていた長編はすべて読んだ。短篇集もほとんど読んだと思う。要するにどっぷりとはまったのだ。『僕』のように考え、行動し、生活をしたいと強く願った。だがそれは生身の人間にはほとんど不可能なことだった。私はだんだんと彼(村上春樹)の小説に強い疑いを抱くようになっていった。

 

例えば、彼の書く小説の主人公は『僕』という一人称で書かれる事が多く、どの作品にもある程度の共通項が見られる。まず、『僕』は非常に女性にモテる。それも、ちょっと尋常なモテ方ではない。例をあげようとすればいくらでもあげられるが、ちょっとそれはないだろうと思わずにはいられないモテ方をする。

 

そして非常に頭が良い。才能にあふれ、仕事にも恵まれる。少しミステリアスで、独特なものの考え方をする。そして、皆から一目置かれているが、なぜ自分がそのように評価されているのかまるでわかっていない。自分は大したことのない人間だと思っている。そんな『僕』は普通ではない世界とも時として接触を果たす。「羊男」だったり「騎士団長」だったりする。そう、『僕』あるいは『私』はとことん他者(時としてそれは人間ではない)から特別扱いをされ、何かを期待され、見込まれている。

 

おかしい。私はこんなにモテたことがない。それにこんな優秀な頭脳を持っていない。と、言う事は、こんなにモテる主人公を描くこの人(村上春樹)は相当の美男なのだろうと思った。こんな面白い小説を書くのだから、頭の良いのは言わずもがなだし。と言うのも、小説の主人公は多かれ少なかれ、著者の体験を踏襲しているものだし分身のようなものだろうと思っていたから。ところが、ある日おかしなことが起こった。『村上朝日堂』のシリーズで安西水丸の描く村上春樹のイラストを見た時だった。

 

 

・・・あれ?誰だこのおにぎり君みたいなおじさんは?水丸間違ってるぞ。老眼じゃなかろうか。私は読了後もそのイラストで描かれたところの人物を頑なに村上春樹だと信じようとはしなかった。それからしばらくは意図的に村上春樹に関する情報を避けるようにしていた。だが何かの拍子に村上氏の真実の姿(要するに写真)を見てしまい、当時の私は思ったのだ。

 

 

<<詐欺じゃないか!!>>

 

 

それからはもう、彼を信じられなくなった。『ねじまき鳥』を最後に、読まなくなった。私は僕僕詐欺にかかっていたのだ。なんだかもうそれまで素敵だと思っていた村上氏の文章が全て嘘のようにかんじられた。大人になったらこんなに素敵な女性たちとのシャレオツな恋愛たちが津波のように押しよせてくるのだと、捕らぬ狸の皮算用的に、将来に壮大な夢を描いていた私のライフプランは脆くも崩壊してしまった。もう何も信じられない・・・。

 

 

季節が何回も移り変わった。長い年月が流れた。

 

 

やはり『僕』のようにはモテなかった<私>も何とか嫁さんを見つけ子供も授かった。そして私よりもはるかに読書家な嫁さんは、村上春樹氏の書いたもので出版されたものはほぼ全て読んでいるし持っている。私は半信半疑ながら、嫁さんにプレゼントして読み終えたらしい『騎士団長殺し』に恐る恐る手を伸ばした・・・。

 

 

~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~

 

どうやら今回の主人公の一人称は『私』らしい。そして職業は肖像画専門の絵描きとされている。年齢は36歳。結婚しているが奥さんから離婚してほしいと言われている。別居中。ふーん。と思いながらページをめくる。わりとすぐに他の女性と肉体関係を持つ。そのことを突然さらっと書いてくる。ああ・・これこれ。この感じモロ村上春樹。そんなことを思いながら読み始める。ある変わった人物が登場する。法外な報酬を払うと言って主人公に肖像画を依頼してくる。その人は免色(メンシキ)さんと言う。この人物が非常に魅力的だ。ある意味では主人公よりも圧倒的に不思議である。他の方の感想を読んでいると彼は良くグレート・ギャッツビ-のようだと書かれている。なるほど、その通りだなあと思う。もっと言うと、村上春樹の作品全体が、ジョン・アービングとかレイモンド・チャンドラーなんかとユーモアの感じだとか、ちょっと愛嬌のあるハードボイルドっぽいところが類似しているような気もする。別に悪いことではないのだが、村上氏がご自分が好きで翻訳を手掛けているような作家達から良い意味で影響を強く受けていることが非常によくわかる書き方をされている。

 

本作の『騎士団長殺し』は集大成と絶賛されたり、今までの焼き直しだと低く見られたりと評価は二分している。だが個人的に言うと私自身は非常に楽しく読めた。持ってる武器を全て使ってきた感がある。読んでいて清々しかった。ただ出し惜しみなく村上春樹的なものを詰め込んできたわりには今一つ盛り上がりに欠ける気がしたのも確かだ。

 

小説のなかで、世俗的には疑う事なき成功者であるはずの免色さんは、ある日主人公に次のように話す。

私はそのときふとこのような思いを持ったのです。この世界で何を達成したところで、どれだけ事業に成功し資産を築いたところで、私は結局のところワンセットの遺伝子を誰かから引き継いで、それを次の誰かに引渡すためだけの便宜的な、過渡的な存在にすぎないのだと。その実用的な機能を別にすれば、残りの私はただの土くれのようなものに過ぎないのだと」

 

 

約7年ごとに長編を発表している村上氏は現在68歳になられている。本作を最後だと考えたくない気もするが、ありったけのものを投入してきた感のある本作を、もし最後の長編だと著者が決めていたのだとしたら、上記で免色さんに語らせた内容こそ、現在の村上氏が抱えていて、作品の中で免色に告白させたかった著者自身の苦悩から来るものなのかもしれない。