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これで貴方もジュウラニアン。作家たちがこぞって絶賛する久生十蘭とは一体何ものなのか。変幻自在〈小説の魔術師〉久生十蘭のおすすめ短編小説11選。

 その百科全書的知識、博覧強記の作風で〈小説の魔術師〉とまで言われた作家が、かつて日本にいました。久生十蘭という名前の作家です。

 

年季の入った読書家や作家の間に熱狂的なファンが多く、そんな彼らは〈ジュウラニアン〉と呼ばれています。

 

そんな久生十蘭の魅力あふれる作品を、ジュウラニアンを自称する私の視点からランキング形式でご紹介。膨大な作品の中から本当にすばらしいものだけを記載していきます。たまたまハズレをひいて、読まなくなるのはもったいなさすぎる!その思いからこの記事を書かせていただきます。よろしくお願いいたします。

 

 

目次

  1. 久生十蘭とは。
  2. 久生十蘭おすすめ短編小説ランキング10選。
  3. 作家たちの声。
  4. まとめ。

 

 

1.久生十蘭とは。

 

「この人はなんでこんなにも色んなことを知っているのだろう」と、その博学多識ぶりに驚きもしたが、そんなことに一々驚いていると興を殺がれるので、やがてなんとも思わなくなってしまった。〜中略〜久生十蘭の前で「驚く」ということをしても無駄である。そんなことをする前に、おとなしく受け入れてしまった方が、ずっと得になる。〜橋本治『定本久生十蘭全集月報1』より。 

 

経歴

 

本名は阿部正雄1902年(明治35年)に北海道函館市にて生まれます。回漕業を営む祖父に養育されました。15歳のころ学内で事件を起こして、函館中学校を中退しています。17歳で編入学した、東京の聖学院中学校も退学しています。18歳で函館中学の先輩の父が経営する、函館新聞社に入社し記者となっています。

 

20歳、函館のアマチュア演劇グループ「素劇会」の結成に参加。このころギターやマンドリンなどもよく弾いている。21歳、文学グループ「函館文芸生社」の同人となる。22歳〜26歳、同人誌に詩を発表、素劇会にて役者として活動、また函館をさる決意をし東京の岸田國士のもとにおもむき、彼の編集する演劇雑誌『悲劇喜劇』の編集に携わる。

 

27歳、戯曲を発表。劇団の旗揚げ公演で、演出助手なども経験。11月になると、シベリア鉄道経由でパリへ向かいます。28歳(昭和5年)フランス滞在中の詳細は不明で、国立工芸大学でレンズ工学を2年、他校で演劇を2年学んだとされ、夏休みには各地を旅したとされています。

 

パリの日本人の中では画家の青山義雄を頼りにし、佐伯祐三の姪、杉邨ていは恋人的存在であったと言われています。パリの十蘭のもとに母親の鑑が身をよせ、華道の挿花展を開くこともありました。母親の帰国後、一時神経衰弱ぎみになり、青山の世話で地中海沿岸のクロ・ド・カーニュにて転地療養をします。快癒に向かうとともに、モンテカルロのカジノに通い、また南フランス各地を旅しています。

 

31歳(昭和8年)日本に帰国し、雑誌『新青年』にトリスタン・ベナールのコントを翻訳。同誌に発表。32歳、同誌に『ノンシヤラン道中記』を連載開始。日本での執筆活動を本格化とともに舞台監督なども務めます。以降掲載誌の幅をひろげ、精力的に作品を発表しつづけますが、41歳(昭和18年)海軍報道班員としてスラバヤ、ニューギニアなど南方へ派遣されます。42歳、南方より無事帰国。帰国後も精力的に作品を発表する。45歳のとき、鎌倉材木座に転居。46歳、同じ鎌倉材木座でふたたび転居。50歳、『鈴木主水』で第26回直木賞を受賞。53歳、『母子像』が『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙主催の第二回世界短編小説コンクールにて第一席となる。55歳6月食道がんで入院。10月自宅にて死去。

 

※上記経歴は講談社文芸文庫『湖畔・ハムレット』文末の年譜を参考にしています。

 

 

2・久生十蘭のおすすめ短編小説10選。 

 

 

『黒い手帳』

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自分の机の上にいま一冊の手帳が載っている。一輪挿しの水仙がそのうえに影を落としている。一見、変哲もない古手帳にすぎぬが、この中には、ある男の不敵な研究の全過程が書きつけられてある。それはほとんど象徴的ともいえるほどの富を彼にもたらすはずであった。その男は一昨日舗石を血に染めて窮迫と孤独のうちに彼の生を終えた。

 

パリで10年、ルーレットの公式を解き明かそうと研究に明け暮れる日本人の男と、彼をとりまくアパートメントの住民が巻き起こす事件が描かれます。

 

もうこれ以上ないほどの完成度の高さです。私はもう10回以上読んでいますが、毎回新鮮な驚きと感動を呼び起こされます。何度も読める作品と出会えることは、私たち本を読む人の最高級の幸せではないでしょうか。

 

久生十蘭はその多くの作品を雑誌『新青年に寄稿しています。本作も同様で、雑誌の掲載する作品の特徴からか、一見ミステリー仕立ての構成となっています。

 

しかし、単に謎を解明するというよりは、根本的にもっと深い部分を描いています。特に『黒い手帳』はそのお手本のような作品です。人間の欲望、純粋さ、友情、愛などについて冷静な筆致と極度に削ぎ落とされた言葉で表現されています。私はこの作品を手放しで絶賛します。読まなければ、ある程度の意味で(もちろん人によって程度はことなりますが)人生を損すると思います。本当に、本当に、オススメです。

 

 

 

『湖畔』

 

初出から15年かけて改稿された、伝説的な作品。『湖畔』を読めば、久生十蘭が他のどの作家とも似ていないことが確実にわかる。

 

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この夏、拠処(よんどころ)ない事情があって、箱根芦ノ湖畔三ツ石の別荘で貴様の母を手にかけ、即日、東京検事局に自訴して出た。

 

私が始めて読んだ久生十蘭作品がこの『湖畔』です。一気に魂を持って行かれました。自己顕示欲が強く、卑屈で利己的な男が主人公で、2歳にもならない息子に手紙で自分の失踪の真相を語り聞かせていきます。

 

久生十蘭の描く登場人物は、男性だろうが女性だろうが関係なく、非常にエネルギッシュで、図太く、生き様に凄みがあります。善悪というしばりを超越したようなキャラクターも多く、現代に生きるわたし達からみてもその奔放さに驚きを感じます。

 

完璧主義の十蘭の改稿癖は有名で、本作は初出から15年後に大幅に改稿されたものが出ています。ノワール小説かと思いきや純愛小説!?先の読めない物語展開と、引用した冒頭の一文から終幕の一文まで、一分の隙きもない完成された物語世界が堪能できます。

 

『定本久生十蘭全集・別巻』の帯で、小説家の三浦しをんさんが推薦文で『湖畔』について以下のように述べています↓

 

はじめて読んだ久生十蘭の作品は『湖畔』だ。あるアンソロジーに収録されていたのだが、端整かつ異様な迫力を宿した文章といい、ほのかな官能の香りといい、ひときわ輝く暗黒の星のような小説だった。アンソロジーのなかで、『湖畔』だけを折に触れて何度も読み返さずにはいられなかった。〜三浦しをん『定本久生十蘭・別巻』より抜粋。

 

※改稿前と後の比較などは『定本久生十蘭全集1』国書刊行会の解題の項で非常に詳しくかかれています。

 

 

 

 

『母子像』

 

GHQ占領下の日本に住む少年の物語。

 

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頭が良く、善良だったはずの少年が、いくつもの奇行をして警察に捕まっているところから物語は始まる。無関係のものから見ると奇行にみえる数々の行動も、少年からするとそれぞれ目的を達成するために、理知的に行ったもの。少年の心の声によって私達はそれを知ることができる。理想と現実とのギャップを埋めるために、行動を続けた少年だが、その差が行動によって埋められなくなると、そこに待っているのは果たして・・・。

 

吉田健一訳による『母子像』は、1955年(昭和30年)に『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙主催の世界短編小説コンクールに参加して第一位を獲得している。(※)

 

※ 占領するものと占領される者との親密な関係は、長らくメディア検閲の対象でした。『母子像』の出版と受賞は、検閲が終了するタイミングと重なるため色々と憶測もあるらしいですが、それを全く抜きにしても本編は非常な名作であることを自信をもってオススメします。

 

 

 

『春の山』

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八月にレジェが死んだと思ったら、この月の六月にユトリロが死んだ。パリでは毎日のように人生の一大事に逢着している。そちらはどうだ。古沼の淀みのなかで、相も変わらずフワリフワリしているのだろう、などと生意気なことが書いてある。ユトリロが死んだことが、はたして人生の一大事かどうか、よく考えてみないとわからないが、周平の住んでいる世界はあまりにも無事で、ちょっと気をゆるめると、つづけざまに欠伸がでてとまらなくなる。〜本編より抜粋。

 

蘆田周平は、親戚の売り空家の管理人。画家の卵でもあり、15間もある広々としたその空き家で、好き放題に絵を書いて過ごしている。サンルームでぼんやり絵を描いていたら、まわりの景色がいつの間にか春になっていた。そんなある日、周平の周囲の人間が、やたらと周平に屋敷を留守にするようあれやこれやと誘いにくる。なにか企みがあるらしい・・・。

 

冒頭で、友人にもらった手紙の中の【一大事】という言葉がキーワードとなっている。周平のあまりにも平和な日常と後半のその対比がとても良くできた作品だ。

 

 

 

 

 

『カストリ候実録』

 

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 SF以外ならば、ほとんどのジャンルを書いているであろう久生十蘭だが、本編は歴史サスペンスの傑作だ。もともと十蘭には歴史ものの傑作が多い。とりわけ凄惨な史実を題材としたものには強烈なものが多く、『美国横断鉄道』や『雪原敗走記』などは一度読んだら二度と忘れられない凄みがある。インターネットもない時代に、これほどまでにニッチな部分に目をつけて、徹底的に調べ尽くした上で作品を書き上げたことに驚嘆を覚えずにはいられない。他作品にも見られる完璧主義的傾向と博覧強記の知識を支える異常なまでの好奇心が、史実をもととした小説の構築と相性が良いのだろう。   

 

あらすじ

 

時は1792年フランス革命。ギロチンで処刑されたルイ十六世の嗣子わずか8歳のシャルル(ルイ17世)は母からも姉からも引き離され、廃塔のてっぺんに幽閉され虐待を受ける。1795年6月8日ついに消耗し尽くしたシャルルは幽閉されたまま死んでしまう。

 

ルイ17世がタンプルで死んだといわれた年から数えて三十三年目の1828年の4月、ルイ17世なりと名乗るアンリ・ルイ・ヴィクトワール・リシュモンという男が膨大な書類入れを携えて巴里にあらわれ、ノルマンディ及びナヴァール王領地の所有者たることを認知してほしいという請願状をフランス政府に提出した。〜本編より抜粋

 

それまでにも幾人もいた自称ルイ17世たちとは異なり、リシュモンは書類や所持品などは指摘するほどもないほど完璧。また、彼が生存した裏工作なども理路整然と説明するのであった。彼が本物かと大勢が決し始めたとき、さらにもうひとりルイ17世を名乗りでる男が現れた・・・・・・・。

 

歴史ミステリーとして最高に面白い作品ではありましたが、現実には2004年にDNA鑑定の結果で、幽閉中に亡くなったのがルイ17世本人であることが証明されました。十蘭自身この悲しい結果を知る由はありませんでしたが、それだからこそ生まれた傑作短編です。

 

 

 

『レカミエー夫人〜或いは、女の職業』

 

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本編は大衆小説として書かれました。重々しい歴史ものとはうってかわって、非常に読みやすく、コミカルな作品です。どこか夢見勝ちな4名の女性が、自分たちは4人で一人前だと(ボーット倶楽部)なる集まりを定期的にひらき、近況を話し合います。そこに一人の美青年が現れ・・・・みたいな話です。乙女チックとも漫画的ともいえるような雰囲気ですが、書いているのが久生十蘭なので初めて聞くような言い回しや、単語がたくさん出てきます。同じ日本人のはずなのに、時代と知性が異なると、ここまで書くものが異なるものかと不思議に感じます。軽い作風がお好きな方にはぜひオススメしたい作品です。

 

 

 

 

『奥の海』

 

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あらすじ

 

 天保7年の大飢饉がつづく中、京都所司代に務める貧乏侍の金十郎は、嫁(ちか)を迎えます。ちかの実家は位こそ公卿でしたが、立派なのは館だけで実は貧乏。飢饉のおりは、水で腹をふくらましたり、庭で蛇をつかまえて食べたりしていました。

 

晴れて金十郎の館へ来たちかは、夕餉のさい「白飯をこんなにもいただけるのでしょうか」といって涙ぐみ、食うわ食うわ気持ちの良いほど白飯を食べまくり、「足るほどに頂戴しました」といってニッコリと笑ったのです。

 

金十郎はこのちかの笑顔が心にささり、家財を潰してまで食費にあてますが飢饉による物資の不足はすさまじく、だんだんと食えなくなっていきます。そんな折、ちかが突然姿を消します。机の上に金子を残して。金十郎はちかへの気持ちが愛だったことに気づき、職を辞し命がけの捜索の旅に出ます・・・。

 

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まったく久生十蘭という作家は本当に変幻自在というか神出鬼没というか、世界中のどんな場所でもどんな時代でも現れて、とんでもないクオリティの作品をポコっと生み出してしまいます。

 

すべての作品がすべらからく洗練されたもので、どちらかというと、どの時代の風俗を描いた小説でも、すべて現実と類似したパラレルワールドの中のように登場人物たちが振る舞います。それはどこかコミカルであって、反面命がけのシリアスだったりもします。

 

私も久生十蘭の作品を長年読んでいますが、この人は本当に明治生まれの日本人なのだろうか。どちらかといえば、異星から来て人の皮を被って小説家として擬態しているといわれた方がよっぽど納得がいくと今だに思っています。  

 

 

 

『幸福物語』

 

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あらすじ

 

空襲で焼け出された主人公(黒田光太郎)が古借家に越してくるところから話は始まる。隣家の大屋敷からは戦時中にそぐわぬのんびりとしたテニスの音や、ピアノの音が聞こえてくる。ある日、避難警報をまつ光太郎が、鉄兜をかぶって縁側にいると、テニスボールが敷地内に飛んできて光太郎の頭にぶつかった。ボールを打った主は隣家の女主人で、若く美しいもののどうやら頭がおかしいようだった・・・。

 

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空襲という命の危機と、常識からはずれてはいるが純粋な愛の物語が同時に展開されている。コミカルな読み味でありつつ、物語がおおきくうねる感じも、読んでいて感心させられる。本編は読後感がよく、ハッピーエンドがお好きな方にはおすすめできる良作だ。

 

 

 

 

大竜巻』

 

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正直なんのジャンルだかよく判らない。いやそうではない、なんだかよく判らなくなるほどにめっちゃ面白いのだ。タイトル通り、大竜巻に飲み込まれる話なのだがそこそこ短い文量のなかにドキドキハラハラがこれでもかと詰め込まれている印象だ。

 

ストーリー展開も怒涛なのだけれど、それぞれのキャラクターも立っていて読み応えがある。POPに読み進めることもできれば、一気に深淵に引きずり込まれそうにもなるエッジの効いた小品といえる。

 

 

 

『ノンシヤラン道中記』

 

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短編〜中編ほどの文量があり、とてもコミカルな作品。活弁士が面白おかしく話しているような文体で、パリに留学している若者二人が、各地を旅する様子が描かれている。狸にどことなく似ているタヌ子と、キツネにどことなく似ているコン吉の珍道中。読み始めこそ、いままで読んだことのない文体に違和感を覚えるものの、読み勧めていくうちにそれが段々と癖になっていく。タヌの破天荒な思いつきにコン吉がしいたげられる展開が基本姿勢であり、なぜかコン吉にシンパシーを感じてしまったそこの貴方はもうこの話は絶対に読まなくてはなりません。これはサダメなのです。抱腹絶倒。とにかく面白いです。私も何度も繰り返し読んでいます。

 

 

『心理の谷』

 

あらすじ

 

しがない会社員の山座(やまざ)は、どういうわけか社長令嬢の貴子様から好かれている。山座は軽薄な男で、貴子様と結婚することだけを夢みているのだが、そこに礼奴(れいぬ)というモンゴルから来た娘に好かれてしまい、七転八倒の物語が開幕する・・・。

 

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終始ご機嫌なドタバタラブコメディなんだけれど、山座の持つ高所恐怖症が物語にトリッキーな要素を加えている。久生十蘭の恋愛ものの作品の中では、POPさではおそらくNo.1なのではないかと思うほど明るく、楽しい作品だ。

 

 

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3・作家たちの声
 

バラエティーに富む物語に共通しているのは、いずれの人物も生と死の際にある、ということ。その際のポジションの取り方が、非常にユニークなのである。対極にあるはずの二つの世界を、しれっと越えるので。ぼんやり読んでいると、たった一行でガラリと違う状況に変わっていることがあり、軽やかな文体であっても油断はできない。読む側にも快い緊張感をもたらしてくれる。小説の醍醐味ってこれですよ、と初めて読むのになぜか懐かしい気持ちになったのだ。〜東直子・理知と茶目と消失『十蘭万華鏡』河出文庫より抜粋。

 

事物は移ろい消えてゆく。砂漠の英雄も、戦前の軽井沢も、草原の娘も、真珠貝成金も、馬鹿囃子も、どこかへ行ってしまった。しかし言葉さえあれば、それらを呼び戻すことができる。十蘭を読んで思うのはそこだ。繁栄してほとばしる言葉、細部を穿つ描写、愉しげなレトリック、しゃれたルビ・・・・ひと言でいえば巧いということなのだが、その巧さのおかげで、私たちは本を開けばいつだって、かつての豊穣で猥雑な世界と固く抱き合えるのである。〜阿部日奈子(詩人)・『十蘭レトリカ』河出文庫。解説より引用。

 

そういえば、十蘭の作品も、緻密な技工をこれでもかというほど凝らした人工物でありながら、西洋と東洋、現在と過去を視野に収めた、広い世界観を持っている。その意味で、いかにも「パノラマ」的と言えるのではないだろうか。自在な語りに引き込まれ、細道を先へ先へと進んでいくと、いきなり呆然とした空間に放り出され、そこで小説はあっけなく終わってしまう。途方に暮れてきょろきょろ辺りを見回す私たち読者の姿を、パノラマ館の仕掛け人たる十蘭は、隠れて遠いところから眺めているに違いない。内心「してやったり」とほくそ笑みながら、しかし、あいも変わらず真顔のままで。〜石川美南(歌人)・『パノラマニア十蘭』河出文庫解説より抜粋。

 

精密に積み重ねられていく十蘭の文章は、理知的で湿っぽさが全くない。心理は詳細に追っているが、情景描写と区別しない形で客観的に描かれ、余計な感情の言葉が入り込むことはない。しかし、最後になって、クる。津波のように、人生のやるせなさやどうすることもできない切なさが、短編の終わりにふりかかってくるのである。〜東直子・『十蘭万華鏡』解説より。

 

事実から傑作小説を生み出す技を言葉の錬金術というなら、十蘭は間違いなく稀代の錬金術師だ。しかしその術は、デモーニッシュな霊感の産物ではなく、「爆風」に見える冷静な精神に拠っている。常識人の透徹した眼、それこそがいつの世にも得がたい賢者の石なのである。〜阿部日奈子(詩人)・『十蘭錬金術河出文庫解説より抜粋。

 

フィクションとしての小説というものが、無から有を生ぜしめる一種の手品だとすれば、まさに久生十蘭の短編こそ、それだという気がする。作者は作品のかげに完全に隠れてしまって、ついに最後まで、ちらりとも姿を現さず、私たちの目をうばうのは、凝りに凝った、あまりにも凝りに凝った作者の小説技巧のみなのだ。〜澁澤龍彦久生十蘭ジュラネスク』より抜粋。

 

 

4・まとめ。

 

長らく読んでいただきありがとうございました。久生十蘭に対する情熱だけでこの記事を書いていますので、お目通しいただきとても嬉しいです。久生十蘭が生前住んでいた鎌倉材木座の番地付近を、ニヤニヤしながらウロウロと歩き回るような私ですがこの記事が少しでも久生十蘭を知っていただけるきっかけとなったのならば幸いです。まだ未読の方はぜひご一読ください。ぶっ飛ぶような読書体験が必ず得られます。断言いたします。既読の方はこれを機に再読していただけたら嬉しいです。もっと知られていい作家だと思いますよね。ありがとうございました。

 

 

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