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感想『十蘭レトリカ』久生十蘭著〜とにかく楽しい!明治生まれの作家の書いたモラルなし、セオリーなしのドタバタラブコメディ。チャラ男と性悪お嬢様と大陸女の破壊的恋物語『心理の谷』は必読に値する。他7編収録。

-本書収録『心理の谷』について-

 

とにかく楽しい!の一言だ。久生十蘭の数多い短編のなかでも特にお気に入りの作品だ。

 

七日ほど前にJ・K・ユイスマンの『さかしま』を読んだあたりから、どうも鬱がちにどんより落ち込んでいたのだが、以前TVでオードリーの若林が重たい内容の本を読むときは、仕事に支障がでないよう、ワンピースと交互に読むと言っていたのを思い出し本書を再読したところ、見事に気分が回復した。私はいま、上機嫌だ。

 

主人公

 

山座次郎。32歳。六井信託社員。学生時代にはどうにかなりそうな気配もあったが、今は、まるっきりそんなものを持ち合わしていない。波風は真っ平ごめん。無理は一切しない。温室の中のメロンのように、丸く熟した世渡りをすることを唯一の念願にしている。

 

上記の山座がなんの間違いか二人の女傑に惚れられてしまう。一人は六井信託の専務のご令嬢で24歳の未婚の美女、名を貴子という。

 

褒め上手で、気が利いて察しがよくて、決して人の気を外さず、ほんのちょっぴり猥雑で、たいへん上手に他人の悪口をいう。生涯苦楽をともにして、共存共栄を計ろうというには、いささか物騒な性格なんだが、山座には、これが、なんともいえぬ魅力なのである。

 

山座は有頂天で、夢遊病者のように「貴子様、貴子様」と口走り会社でも馬鹿にされたりしているのだが、そんな山座の前にさらにもう一人の女性が現れる。

 

山座が、有楽町の省線ホームに突っ立っていると、草の茎のように細い脛をもった、目玉のキョロリとした娘が近寄ってきて、いきなりドスンと体当たりを喰らわせてから、「オイ、遊んでやろうか」と、いった。山座は、何の気もなく、「ウン」と、答えた。

 

彼女の名は礼奴(れいぬ)。父の仕事(毛皮の買い付け商)の関係で長くモンゴルの草原で包(パオ)を住居として暮らす。つまり育ちからして規格外で彼女の中には、果てしもない草原の起伏や、茫漠たる砂漠の向うに沈む大きな夕陽や、とかく大陸的なものがゆったりと展開している。

 

山座は貴子様と一刻もはやく結婚したいくらいだが、礼奴があらわれたあたりからどうも貴子さまの態度が冷たくなり始めたような気がする。礼奴には理屈はまったく通じず、気のないことを示してもこちらの意向はまったく受け入れない。

 

「ねえ、紳士さん、あたしにあんたの※※※※※※※※※」山座は、思わず、わッ、と叫んで、草の上に跳ね起きた。こんな厚かましい求愛の仕方ってあるものだろうか。一種兇暴な迫力があるばかりで、愛の感情などは露ほども感じられない。

 

どうやらこの礼奴が、山座のあずかり知らぬところで貴子様に逢いに行ったらしい。貴子さまからは「あたくし、ほんとうに、悲しいわ」というたった一行の手紙が寄越されてきた。その後は、山座が何度も訪ねても居留守を使われてしまう。

 

やけになった山座は礼奴とさんざん酔っぱらったあげく、ある生命の危機に陥る。奇跡的に生還し、すったもんだあったあげく、貴子様の別荘に乗り込み貴子様の浮気現に遭遇するのだが・・・・

 

とにかく、とにかく、とにかく楽しい。そして、人物の持つ魅力がすごすぎる。狂った調子の楽器どもが勝手気ままに演奏してるかのような、ジャジーな楽しさで溢れている。礼奴の突き抜け感がすさまじく、踊るように言葉を吐く。山座は感きわまると田舎弁丸出しで、貴子様は、「ほ・ほ・ほ・ほ」と笑うだけで、相手に「死ね」とテレパシーしてしまう。

 

軽妙洒脱で終始つらぬくかとおもわれる物語の終わり。思わず泣いてしまうくらいの切なさが胸を襲う。真実、光が差し込むような瞬間の訪れがある。結局、なにを書いても、なにを言ってもなんか違う気がする。最後に礼奴がさかだちするシーンを抜粋します。ここ、好きなんです。

 

礼奴は、両足の爪先をキチンと揃えて空へおっ立て、シンネリと逆立ちをしていた。襞の多い薄紗(ダンテール)のついた朱鷺色(ときいろ)の下着(シュメーズ)が、カトレヤの花びらのように優しく四方へ垂れさがり、その中心から、薄黄色の絹靴下につつまれた二本の足が、長い雄蕊(おしべ)のようにすんなりと伸び上っている。大きな蘭の花がひとつそこに咲き出したようにも見えたのである

 
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