書評『一個人 落語入門』〜落語の国のハリー・ポッター
落語とは、つまるところ一人芝居だ。
すべての登場人物を、噺家はたった一人で演じ分ける。
ひとつの物語に主人公と、主要人物2~3人。
その他ゆかいな脇役たちが数名。多くて10名ほどの
人物を15分から30分くらいの間で演じ分けることになる。
噺家の個性は、千差万別百花繚乱。
生きざまそのまま、背負い込んで座布団の上にチョコンと座る。
落語は究極のシンプル芸であって必要なものは扇子(センスではない)と
手拭い、座布団とお茶ぐらいなものである。
だが、噺家が巧者であればあるほど。
何もないはずの噺家の周囲に、長屋が見えてくる。吉原が見えてくる。
満開の桜が見えてくる。お化けも、美人も。若さも。老いも。笑いも。苦悩も。喜びも。生き死にも。数限りなく、受け手によっていくらでも見えざるものが見えてくるのだ。これらのものを客に自然に見せるためには、冒頭で記した一人芝居(人物の演じ分け)がたいへん重要になってくる。全部の人物が同じような声、声量、リズム、しぐさで話していたら聞いている方も誰が誰だか訳がわからず、物語の世界にすんなりと入っていけなくなる。この演じ分けは巧者になればなるほど、瞬時であり、シリアスだ。
『代書屋』という噺がある。噺家は、黄金の60代の一人、柳家権太楼師匠だ。
「代書屋の儲かった日も同じ顔」と言って、代書屋さんはぶすっとした、暗い、横柄な男が多い。とまくらで話してから本題の噺に入っていく。
文字の書けないヒデという男が、職場に提出するための履歴書を書いてもらうため、
代書屋のところを訪れる。
ヒデ 『おーう!ちゃっ!!おーう!ちゃっ!!なんだねー。デーショ屋さん!デーショ屋さん!デーショ屋さん!!』
(間髪入れず・ぼそっと)
代書屋『デーショ屋じゃない。代書屋。』
ここが!!素晴らしいのだ。
ヒデから代書屋に切り替わる間は、ほんの一秒あるかないか。
その瞬間に元気いっぱい、大声でテンション100のヒデから、
絶対零度の代書屋まで、一瞬で切り替わる。
知性の高さから、すこし中性的な印象さえ感じさせる代書屋の人物設定。
権太楼師の緻密な落語理論から作り出されたキャラだけに一言話しただけで
ただものでない雰囲気を漂わせる。
性根の太い、血を騒がせる笑いを生む。それが権太楼落語の魅力。
上記の短文で、権太楼の魅力を表現しきった小佐田定男はただ者ではないな、と以前から気になっていたのだが、本書で彼の記事を見かけ購入。
偶然にも若き日の権太楼があこがれ、彼から『代書屋』をうけついだ、故・桂枝雀の記事だった。本書では、桂枝雀の人となりがまるで自分が枝雀と友人だったかのような気持ちで読める名文だった。ああ、眼鏡をかけて微笑む小佐田氏が、ハリー・ポッターに見えて仕方がない。