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感想『石原吉郎詩文集』石原吉郎著〜+人が言葉をすてる時、クラリモンドが現れる。+シベリア抑留の被害者である著者が失った人間性を取り戻すために綴った詩の数々。それは悲痛でありながらも人間の気高さを想起させる。

敗戦後、石原吉郎ソ連の収容所で反ソ・スパイ行為の罪で重労働25年の判決を受ける。俗にいう<シベリア抑留>の被害者の一人だ。厳寒のシベリヤで粗末な衣服しか与えられず、足取りが遅れればすぐに死が待ち受ける死の労働を彼らは強いられた。

 

第二次世界大戦が終わって十年の後、石原吉郎は突如あらわれた。それまでも戦時体験を背景として詩作する詩人はいたのだが、石原は彼らとは一線を画していた。石原には戦争を、収容体験をすぎたこととしてみてはいなかった。彼はいまだに収容所から抜け出てはいなかった。いや、むしろ抜け出ることを拒絶していたかのような感じを受ける。まるで殉教者のようなその姿勢は、本書収録の散文『ペシミストの勇気』に登場する「鹿野武一」と同じ姿勢を石原が有していることに他ならない。

 

石原と同じ25年因「鹿野武一」は、昭和27年5月ハバロフスク市の第六収容所で、とつぜん失語症に陥ったように沈黙し、その数日後に絶食を始めた。絶食は誰にも知らされず始められたため、周囲が気づいた時にはすでに二日が経過していた。また、抗議として行われたものでもないため、鹿野は通常の労働も行っていた。彼は進んで死の危険の高い位置を自らにない絶食状態のまま地べたに這いずり労働をつづけた。ようやく彼の異変に気付いた一部のものは、大きな衝撃を受けた。収容所では、『他人よりもながく生きのこる』ことが個々の常識となっており、そのために行われることに彼らは麻痺することで目をつぶっていたからだ。

 

石原は、鹿野が絶食して四日目。いやいやながら彼のもとを訪ねおれも絶食するぞとだけいって作業に出た。その日の夜、鹿野はめずらしく優しい表情で石原をたずね絶食の理由を話す。だがそれから鹿野はよりいっそう殻にこもり、収容所側も気づくところとなる。彼らはこれを一種の抗議ととらえ尋問を始める。彼らは最後は根負けし、「人間的に」話そうと態度をやわらげる。これは、こちらも追及はしないから、「協力」してくれということである。鹿野は以下のように答えた。

 

もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。

 

鹿野のこの姿勢は、誰も救うことはない。救えるならば、ペシミストとしての彼の『位置』の確かさのみである。おそらく石原の詩においての収容所体験の反映も、ただその『位置』を明確にすることにおいてのみ昇華されるものである。

 

石原ら収容者は、往々にして皆「失語状態」に陥る。目の前の悲惨を「認識」しないための第一段階として言葉を捨て去るのである。言葉をなくした彼らは、苦しみを言葉によって「追及」していくことができない。石原は終戦後、言葉を回復していくにつれて認識できていなかった苦しみを再体験していくこととなる。おそらくそれは「詩」という形で吐き出さなければ、かかえきれないほどの重みだったのだろう。以下で紹介する「さびしいといま」のように比較的具体的なものもあれば、「自転車にのるクラリモンド」のような抽象的なものもある。

 

それらの詩は、ただ暗く悲しいだけの詩ではない。地獄のような環境をくるりと鮮やかに反転させる人間の強さを感じる。命と世界がむき出しで対峙する、奇跡のような、詩。「さびしいといま」、「自転車に乗るクラリモンド」は私の一番好きな詩で多分この先も変わらない。

 

『さびしいと いま』

 

さびしいと いま

いったろう ひげだらけの

その土堀にぴったり

おしつけたその背の

その すぐうしろで

 

さびしいと いま

いったろう

そこだけが けものの

腹のようにあたたかく

手ばなしの影ばかりが

せつなくおりかさなって

いるあたりで

 

背なかあわせの 奇妙な

にくしみのあいだで

たしかに さびしいと

いったやつがいて

たしかに それを

聞いたやつがいるのだ

 

いった口と

聞いた耳とのあいだで

おもいもかけぬ

蓋がもちあがり

冗談のように あつい湯が

ふきこぼれる

 

あわててとびのくのは

土堀や おれの勝手だが

たしかに さびしいと

いったやつがいて

たしかに それを

聞いたやつがいる以上

あのしいの木も

とちの木も

日ぐれもみずうみも

そっくりおれのものだ

 

 

 

『自転車にのるクラリモンド』

 

自転車にのるクラリモンドよ

目をつぶれ

 

自転車にのるクラリモンドの

肩にのる白い記憶よ

目をつぶれ

 

クラリモンドの肩のうえの

記憶のなかのクラリモンドよ

目をつぶれ

 

 目をつぶれ

 

 シャワーのような

 記憶のなかの

 赤とみどりの

 とんぼがえり

 顔には耳が

 手には指が

 町には記憶が

 ママレードには愛が

 

そうして目をつぶった

ものがたりがはじまった

 

 自転車にのるクラリモンドの

 自転車のうえのクラリモンド

 幸福なクラリモンドの

 幸福のなかのクラリモンド

 

そうして目をつぶった

ものがたりがはじまった

 

町には空が

空にはリボンが

リボンの下には

クラリモンドが