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感想『青と緑』ヴァージニア・ウルフ著・西崎憲編・訳〜ヴァージニア・ウルフの入門書として最適。これはもうVRでは⁉️傑作『ボンド通りのダロウェイ夫人』。

 

『ボンド通りのダロウェイ夫人』

 

    ※引用はすべて本作より抜粋したものです。

 

この作品は傑作だ。正直タイトルはなんの面白みもない。なんの期待もしていなかった。内容もほとんどない。アラフィフのダロウェイ夫人がただ手袋を買いに行くだけの話。〈つまらない〉そうなるだろうと思っていた。

 

しかし読みすすめるうちに、戦慄しだす。人の意識がそのままにタレ流れている。終始いけないものを読まされている。おそろしく明け透けで、ある意味おそろしく誠実。このようなものを人に読ませようとする作家はあまり知らない。物を語ってない。人間のこころをただ見せられている。拒むことはできない。ナマの人間の思惑を、伺い知ることは通常できないからだ。こんなチャンスを逃すわけにはいかない。とても面白い。私はこの作品が大好きになっている。本家の『ダロウェイ夫人』も読まないと。絶対に。

 

やあ、素晴らしい朝だね

 

突然話しかけられる。

 

誰だ、おまえは。私はこれから手袋を買いに行くのだ、とダロウェイ夫人でありながら、読者でもある私は思う。

 

ロンドンを歩くのが好きなのよ

 

これまた突然、ダロウェイ夫人となっている私が言う。そうか。私はロンドンを歩くのがすきなのか、了解。と私は思う。もはや私とダロウェイ夫人は同じ意識を共有している・・・・。

 

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人にはそれぞれ現実の世界とは別に、意識としての生活がある。それは絶対だ。いや、わかっている。もちろん現実のほうが絶対的だ。なんといっても腹はへるし、棒で叩かれれば痛い。身体にとっても心にとっても。打ちどころが悪ければあまつさえ血が流れるだろう。

 

しかしもし、人間に意識がなかったら(意識をこころと言い換えてもいいかもしれない)、外界の刺激に対して反射程度の反応しかしめさない単細胞生物のような存在だったなら、そもそもそこから『物語』は生まれないだろう。 

 

そういう意味で、私たちにとって最も重視すべきは、日々めまぐるしく動く外の世界の事柄ではなくて、外の世界から刺激をうけて千変万化に変化する意識の世界なのではないだろうか。ウルフは個人の意識を、〈意識の流れ〉という手法で作品の中で表現し、それらを連綿と続く歴史や哲学などのようなもの、さらには圧倒的な圧力で人々の生活に押し寄せる戦争などといったものと同列の域までその威光を押し上げている。

 

小説を読み慣れている人ほど、ウルフの紡ぐ物語にはどこか違和感を覚えるだろう。通常の書き方で書かれていない気がする。これは人間の意識の特徴を使って小説を構築しているからにほかならない。意識は通常まとまりがない思考の連なりである場合が多い。視界から入る情報をもとに、耳から聞こえる音や会話をもとに、飛び石から飛び石へと次々とジャンプするように展開していく。それらの刺激をもとに形而上的に飛躍していくことだって多々あるだろう。

 

突然声をかけられたり、視界にはいったものから意識が展開していく様が『ボンド通りにダロウェイ夫人』ではうまく描かれている。自分と同じ過程で意識が展開していくこの物語を読みすすめていると不思議な事がおこる。

 

短編小説にもかかわらず、女性であるダロウェイ夫人と読み手である私が男性である性別の違いにもかかわらず、ダロウェイ夫人と私の年代の違いにもかかわらず、今まで私が読んできたどんな小説よりも、物語の世界への没入感がすごいのだ。これはもうVRである。

 

いままで経験したことのない現象に、ヴァージニア・ウルフ文学史に燦然と輝く巨人の一人であることを思い知らされる。ここまで実験的な小説を最後まできちんと読者によませ、あまつさえ感動までさせるというのは尋常ではない感覚と知性、技巧と勇気がなければ叶わないことだろう。

 

本書には他にも秀作は多数含まれているし、ヴァージニア・ウルフの人生、作品の特徴についても詳細に書かれている。難解で実験的な作風のものも多いが、どれも短編なので非常に読みやすく、こちらの集中力も続きやすい。入門書として最適ではないだろうか。実際私もヴァージニア・ウルフを読みすすめていこうと思っている。

 

本書によると、ヴァージニア・ウルフの人生には悲惨な出来事も多い。何より彼女は自らの命を自らで終わらせている。しかし本書で紹介されている彼女の作品たちには彼女が経験した幸せの輝きのようなものが随所にみてとれる。恋人たちのささやかで愛らしい仲むつまじさや、好ましい家族のぬくもり、そして戦争にさえ打ち勝つ意識の偉大さがみてとれる。彼女の不幸が、彼女の幸福がこの本にはたくさん詰まっている。当時におとらず激動の時代を生きている私たちにとって、そんな彼女の本を今あたらしく読むことができるのは、これもまたとんでもなく幸せなことの一つなのだろう。