- Book Box - 本は宝箱。

SF・幻想文学多めの読書感想サイトです。基本好きな本しか感想書かないので、書いてある本はすべてオススメです。うまくいかない時ほど読書量がふえるという闇の傾向があります。それでも基本読書はたのしい。つれづれと書いていきます。

感想『密会』ウィリアム・トレヴァー著〜市井の人々の日々の暮らしを、その中で起こりうる感情を、ただありのままに書かせたとしたらウィリアム・トレヴァーに勝る作家はいないだろう。英語圏最高の短編作家と称されるのも納得の、味わい深い十二の作品群。

トレヴァーの小説は、物悲しいと同時に美しい。そして常に変わらず誠実である。

サンフランシスコ・クロニクル

 

ウィリアム・トレヴァーについて。 

〜1928年アイルランドコーク州にて生まれる。アイルランドの最高学府トリニティ・カレッジ・ダブリンを卒業後、教師、彫刻家、コピーライターなどの職歴の後、60年代より作家活動に入る。65年、第二作『同窓』がホーソンデン賞を受賞。以降すぐれた長編、短編を発表し続け、数多くの賞を受賞している(ホイットブレッド賞は3回受賞)。短編の評価は極めて高く、初期からの短編集7冊を合わせた短編全集(92年)はベストセラー。当時現役最高の短編作家と称される。2016年11月20日デヴォン州の自宅で死去。88歳没(本書より抜粋)。

 

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英語圏最高の短編作家と称されるウィリアム・トレヴァーの紡ぐ12の物語。いずれも普通の人々の、普通の日々を描いている。富裕層ではないが、かといって貧困層とも言い切れないような、まさに中流の人たちが登場し、私たち読者が、現実の生活で直面しそうな出来ごとで、彼らも同じように悩んでいる。

 

『聖像』

アラとコリーはお互い31歳。幼なじみの夫婦だ。夫のコリーには聖人の彫像を彫る才能がある。彼の彫る聖人像を見る度にヌアラは夫の才能に驚き、庇護してあげたいと思っている。だが、コリーの才能は生計の手段にはなっておらず現実的な職を探さなければならない。コリーは夫の才能に惚れこんでいるが、お腹に4人目の赤ちゃんがいて働くことが出来ない。幸いコリーは石切場の徒弟の職を見つけたが一年間は見習いで給金は出ない。その一年を何とか乗り越えられないものか・・・。ヌアラは言った。「ねえ、ファロウェイ夫人に頼んでみてくれない?」。・・・・・。

 

読みやすい文章で特別むずかしい言葉も出てこない。それなのに、文章の意図がつかめないことがある。なぜここで、この文章が書かれるのか。

 

それでも気にせず読み進めると、とつぜん立ちこめていた霧が吹き払われ、すっかりあわらになった真実が姿を現す瞬間が来る。それまで不明瞭に感じたいくつかの文章が、意を決したようにつながり始め、その内情をさらけ出す。著者の意図やら人物たちの悲喜こもごもの感情が波のように押し寄せて来る。

 

思うにこれは情報の出し方が絶妙なためで、ストーリー自体には大きなうねりは無くとも、日常を謎めいたものとして読ませてしまう、著者の緻密な構成力と周到な用意によるものだ。

 

著者は感情の描写にとても優れたものを持っている。心理ではなく感情なのだ。怒りとか、寂しいだとか、哀しいだとかそういうことの書き方が抜群である。極度に私たちの生活に近い舞台を背景にして、なおかつ感情描写に優れているということは、それだけ読者の心に届いてくるということだ。

 

その一方で、語り口はとても静かで淡々としている。ヌアラからもコリーからもある一定の距離を保っている。物語の風景がセピア色に見えるような、すべて100年前に終わったことのような、そんな哀切を伴っている。

 

『路上で』

ある女性の視点から、ある男の異常性が少しずつ語られる、回想される、また語られる、そして明らかになっていく。その過程がとてもおもしろい、そしてこわい。本書はどれもすばらしいが、終始不穏な気配に包まれているこの短編が私は一番好きだ。

 

『ローズは泣いた』

池澤夏樹・世界文学全集の短編コレクションⅡにも収録されており、そこから本書を読むに至りました。著者の数多い短編の中でも傑作と呼び声の高い作品です。

 

18歳のローズは家庭教師ブーベーリ先生のおかげもあって大学入学の試験に合格した。ローズの父親と母親は、ローズを最後に家庭教師を引退するブーベ−リ先生を自宅に呼びお祝いの会を開く。だが実はローズもブーベ−リ先生もこの会は乗り気ではなかった・・・。

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人の感情というものは不思議なものだ。そしてそれは、驚いたことに一人に一つあるものなのだ。表に出せない感情というものが他者間の間で交錯するとき、それは非常に大きなドラマを生む。本作を読むと、自分たちの人生のどれだけ大きなウエートを感情という不可思議なものが占めているかがよく判る。この物語の感情の入り乱れる様は自分たちが日々生活している現実の世界のそれとよく似ているからだ。 

 

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全編を通して、小説内の時の流れがゆるやかで、読んでいて心地が良い。誠実さが、人物に、描写の端々に感じとれる。

 

例えば昼間、私に不愉快な出来事があったとする。怒りで、悲しみで、不安で、情けなさで、眠れない夜があったとする。そんな時そばにいて話を聞いてほしいと思うのは、トレヴァーの書くヌアラだったり、コリーだったり、ローズだったり、要するに、うまくいかなくてもけなげに生きる普通の人たちだったりするのだ。