感想『 龍の刻(新定番コナン全集6)』ロバート・E・ハワード著〜そうだ!!「「筋肉」」を鍛えよう!!!→小説を読むことで筋トレのモチベーションを挙げるには。
未来少年ではない。見ためは子ども、中身は大人の名探偵でもない。コナン三兄弟の長男凶悪マッチョ戦士のコナンである。
なんたら洋画劇場(TV・再放送)で何度となく見たアーノルド・シュワルツェネッガー主演『コナン・ザ・グレート』の原作。な、な、懐かしい。
ならず者、傭兵、海賊、一国の王。
名前がコナンなんて、可愛らしくさえあるのにその経歴は恐ろしい。
とにかくでかい、こわい、つよい。戦わされる敵役がかわいそうなほどだ。
本書は国王になってからのコナンが活躍する冒険譚だが、コナンは国王になってもその兇暴性は薄れていない。部下からは尊敬される立派なカリスマだが、キンメリア人(蛮族)である彼の個性は同時に畏怖の対象でもある。以下引用。
セルヴィウスは、過去に気づいたことを、いまあらためて、以前よりはっきりと気づいた。すなわち、王の身辺にただよう異質なものに。鎖帷子の下のあの巨体は、文明人にしては堅すぎるし、しなやかすぎる。原始の焔が、その強い光を放つ眼の中で燃えている。王の身辺に漂う野蛮なものが、今や一段と目立っている。~中略~アキロニアの王からキンメリアの山間に住む獣皮をまとった殺し屋まで、ほんのひとまたぎなのだ。
冒頭で、コナンは3000年の眠りから覚めた大魔術師ザルトータンの黒魔術によってなんか気持ち悪くなって冷や汗だらだら。大事な戦いに参加できず大敗北。命からがら逃げ出すはめになる。
ザルトータンに立ち向かうため「アーリマンの心臓」と呼ばれる赤く輝く宝石を求め旅に出るのだが、何せ冒頭から負けがたてこむため、コナンのイライラは募るばかり。散々どなる、ののしる、はったおすのだ。
そのおもちゃをぬけ、きさまを魚の餌にしてやる!
犬め!やはりきさまだったのか。裏切り者め!見下げはてた売国奴め!この卑しい鋼鉄でさえ、おまえの汚らわしい首を刎ねるにはもったいない。さあ、盗人が死ぬように死ね!
わしの手が自由だったら、いますぐおぬしを脳味噌のない死骸に変えてやるのだがな。
くたばれ、犬の兄弟ども!
ひどい!ひどすぎる口汚さだ!
こんなに口汚いコナンだが、男性フェロモンの神様のような彼は女性に死ぬほど惚れられる。さすがコナン。さすが王。どんな深刻なダメージもちょっと寝れば元気になっちゃうし、どんな緻密な計画たてても、一時の感情の爆発であっさりその計画を破棄。怒涛のランボー路線にきりかえちゃって活き活きと小躍りするのだ。
そうか!!今までの生活で、壁にぶつかったとき、読書したり、うんうん考えてみたり、哲学書読んでみたり、自然に触れあってみたり、友人に相談したり、ひたすら寝てみたり、ヤケ酒したり、やけ食いしたり、神様について考えたり色々してきたけど、すべて違ったのだ。
「「「「「「筋肉」」」」」だ!!!
書を捨てよ。筋肉きたえよ。と寺山修司も言っていたではないか。(嘘
さあ皆さん。悩んだらコナン(筋肉)。悩んだら筋肉(コナン)ですよ。よいよい。