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SF・幻想文学多めの読書感想サイトです。基本好きな本しか感想書かないので、書いてある本はすべてオススメです。うまくいかない時ほど読書量がふえるという闇の傾向があります。それでも基本読書はたのしい。つれづれと書いていきます。

感想『傷跡』ファン・ホセ・サエール著〜傷は人間を変質させる。彼らがこの世界で暮らすには、自らの異質を世界に無理に馴染ませていくしかない。

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『傷跡』を読んでまず目を引かれるのは、いずれの登場人物もどこかしら【変】だということだ。彼らはみな常識的な規範から少しずつ(あるいはかなり)ズレている。このズレはなんの変哲もない日常的な光景を〈異化〉することによって、読者の脳裏に忘れがたい印象を残すことになる。

 

本書は四章で構成されていて、いずれの章もそれぞれ異なる人物を主人公とする独白形式で描かれている。ひとつの事件を軸にその4人が章を追うごとに交錯していくのだが、あと書きによると、それぞれの登場人物たちの背景には1955年にアルゼンチンで失脚した※ペロン政権側についていた人々の、埋める事の出来ない心の傷がほのめかされている、とある。

 

※ファン・ドミンゴ・ペロン(1895年10月8日〜1974年7月1日)

 〜アルゼンチンの軍人、政治家、大統領。大統領に3回当選したが、独裁者とよばれたこともあり、アルゼンチン国内でも評価は分かれる。ペロンの支持者「ペロニスタ」が母体となった正義党は、現在でも同国内で大きな影響力を持っている。(ウィキペディアより抜粋)

 

取り返しのつかないほどバカラ賭博にはまってしまう元弁護士セルヒオ何故か自分以外の人間を全て「ゴリラ」と認識している判事エルネストの存在がこの小説の白眉といっても差し支えはないだろう。

 

出てくる人物はすべてどこかしら異常性を有しているのだが、セルヒオならば賭博、エルネストならばドライブ中の景色に対する描写や考察などが過剰に緻密に語られていて、そこが元々架空であるはずのこの物語に深刻なリアリズムを与えている。

 

しかしその一方で賭博にはまるセルヒオは、元弁護士で雑誌にエッセイを寄稿するような高い知能と常識を有している。それにもかかわらず、勝ち負けになんのこだわりも感情もいだかないバカラ賭博への傾倒ぶりには、危機感の欠如とか生への執着の欠如を感じる。

 

判事のエルネストはその存在がとても虚ろだ。食事もほとんど摂らない。出版の予定もないオスカーワイルドの翻訳に取り憑かれたように取り組んでいる。仕事にも生活にもなんの情熱もなくひたすら虚無な印象を受ける。自分以外の人間を〈ゴリラ〉と認識している際も別に憎しみの感情はなさそうだ。ただそのように認識しているだけだ。

 

「傷」によって変質してしまった彼らの日常は、私達の目にはかなり特異に映る。それこそがこの物語の読みどころであって、そこに作為を感じてしまうのは無粋なのかもしれない。大事なことに気づくのに、私たちの持つ生理現象や、生への執着は案外じゃまをすることもあるだろうし、それに何より、彼らのある種のめりこみ方が半端ではなくてそこに何と言うか爽快感とか面白みのようなものを感じてしまう。何だか全体的に喪失感を扱った物語の割にはそこそこ笑わしてもらった。最初は真面目に読んでいたのだが、まるで何十発も打たれたボディブローのように、<ゴリラ>という文字が効いてくるのだ。