感想『ナイフ投げ師』スティーブン・ミルハウザー著〜ミルハウザーを好きになることは、吸血鬼に噛まれることに似ていて、いったんその魔法に感染してしまったら、健康を取り戻すことは不可能に近い。(「訳者あとがき」より)
私のなかにある少ない言葉で、本書の魅力を伝えることは非常に困難だ。だけどもこのように素晴らしい本を縁あって読んで、それによって何かを感じることが出来たのだから、曲がりなりにもそのことを、文字として残すことに何かしら意味はあると思いたい。
スティーブン・ミルハウザー著『ナイフ投げ師』は十二の物語の収録された短編集。印象に残ったものをいくつかご紹介。
『ナイフ投げ師』
つまらなそうな表情で、たんたんとナイフを投げる男、ヘンシュ。神業とも言える彼のナイフ投げだが、それを見守る観客のなかにうごめいている暗い興奮状態にはある一つの理由があった・・・・。
『ある訪問』
妻をもらった。訪ねて来い。長く連絡の途絶えていた友人から九年ぶりに手紙が届く。山奥のあばら家に彼を訪ねると、そこには昔の表情そのままの親友・アルバートと彼の妻・アリスがいた。アリスは体長60㎝はあろうかと思われる生きたヒキガエルで・・・。
『空飛ぶ絨毯』
子供のころの長い夏の日々。いろいろな遊び。刹那。そして永遠。日ざし。終わりの予感。強烈な・・渇き。・・・退屈。 麦わら帽子 波打つ・影 燃えさかる・青 切れてしまった地上の綱。 空飛ぶぼくの・じゅうたん。
『新自動人形劇場』
市が誇る自動人形劇場の説明から入り、名匠ハインリッヒ・グラウムの人生へと話は移る。危険にして不穏なる才能、偉大にして悩める魂をもつ彼の生み出す自動人形劇に、人々は一体何を見たのか・・。
『月の光』
こうして僕の計画、大胆な月と青い夏の夜によって生まれた計画が、突如明らかになった。
描写の素晴らしさが際立つ名作。青白い月の光に照らされた暖かい夏の夜。不眠症の僕は15歳。玄関でしばし迷うも、夜の散歩に出かける。幻想的で、瑞々しく、そして切ない。
『気球飛行一八七〇年』
理詰めで緻密に説明をすることで、架空の世界に現実味を持たせたり、職能を突き詰めるあまり少しずつ少しずつ、静かに境界線上を伝い歩き、気付いた時にはすでにかなり異常な領域に踏み込んでいる人物を書かせたらミルハウザーほどの巧者は少ないが、それとはまた、全く異なった雰囲気を持つ空のロードムービ-。すべてほっぽり出して、空にただプカプカ浮かんでいたい。そんな主人公の精神性に深く共感する。
『パラダイスパーク』
本作を読むと、本書著者に畏敬の念を抱かざるをえない。それと同時に、なんて面倒くさそうな人間だろうと、心底舌を巻く。要するに、すごく面白いけど・・・ちょっとひくのだ。
『カスパーハウザーは語る』
カスパーハウザーは実在の人間で1828年5月26日、ドイツ・ニュルンベルクのウニシュリットブラッツで発見された。言葉もしゃべれず、鏡の中の自分が判らず、パンと水以外は食べられなかった。携帯していた紙片には彼の名前と、扱いに困ったら殺してくれとの文面。どうやら彼はかなりの長期、地下に幽閉されていたと推測された。事実は小説より奇なりと言うけれど、ミルハウザーにかかってはその言葉も無意味に思える。
ご一読ありがとうございました。