- Book Box - 本は宝箱。

SF・幻想文学多めの読書感想サイトです。基本好きな本しか感想書かないので、書いてある本はすべてオススメです。うまくいかない時ほど読書量がふえるという闇の傾向があります。それでも基本読書はたのしい。つれづれと書いていきます。

書評『家霊』岡本かの子著 かの子一平ときどき太郎

こと文章を書くことにかけては、岡本さんちの真の天才はかの子である。

 

夫である一平の力の抜けたイラストに妙に愛きょうのある文章も好きだし、子供、岡本太郎の唯我独尊的思想にもしびれるが、底なし沼のような深さはかの子にしかない。本書収録の4編には濃厚に薫る蓮の花のような文章の美しさがある。

 

かの子の紡ぐ物語には頻繁に食い物が出てくる。食事でも、食べ物でもなく、食い物だ。生きものである人間が、生きるために他の動物を殺して食べる現象としての食い物である。人間の業がなす行為の一つである。

 

仏教研究家でもあったかの子は、生きることへの深い追求があり、それが食べ物でなく、食い物となるユエンである。

 

『家霊』では、どじょうやすっぽんなどを客に食べさす居酒屋が舞台。主人公はそこの店主一家の娘クメ子。10代後半か。亡くなったおかみさんの代からツケでどじょうを食べ続ける徳永老人が言う。

 

人に妬まれ、蔑まれて、心が魔王のように猛り立つ時でも、あの小魚を口に含んで、前歯でぽきりぽきりと、頭から骨ごとに少しずつ噛み潰して行くと、恨みはそこへ移って、どこともなくやさしい涙が湧いてくる

 

ここで徳永老人は、食われる小魚もかわいそうだが、食うワシもかわいそうだ、と言う。食われる小魚に恨みを移し、溜飲を下げつつ、感謝、哀訴の念が起こる。とても人間的な現象であり、悲しいが人間の美徳だとも思う。

 

本書収録『鮨』では、偏食の少年が母親の握った寿司を初めて食べたとき、以下のような文章もある。

 

「今のは、たしかに、ほんとうの魚に違いない。自分は、魚が食べられたのだ―」そう気づくと、子供は、はじめて、生きているものを噛み殺したような征服と新鮮を感じ、あたりを広く見廻したい喜びを感じた。むずむずする両方の脇腹を、同じような喜びで、じっとしていられない手の指で掴み掻いた。「ひ ひ ひ ひ ひ」無暗にかんだかに子供は笑った。

 

作家のリズムというか、作風というか知らないけれどかの子の物語は独特の呼吸があって、静かな話にもテンポの良さがある。庶民の暮らしにも粋を感じ、華がある。

 

それはおそらく登場人物の魅力である。かの子の物語に出てくる人物はみな、適度に乾いている。ドライである。若い者は若いなりに、年寄は年寄なりにみな思想を持ち、生き方と密接している。身の丈にあった生き方を無理なく過ごす。

 

彼らの言動や身のこなし、発言に回想は、自然体の彼らだからこその魅力に溢れている。不思議だが、それらの文は香りを持つ。色を持つ。かの子の文章を想い出すたびに、風が吹く、香りがする、華やかに色づく。こんな作家は他にいない。やっぱり、岡本家の真の天才はかの子である。